曽波の伝播(でんぱ)経路

そばは昭葉樹林文化が生んだ独創的な形の作物といわれ、雲南省でそばが作物になった時期は、その前の暖かい時期から寒くなった時期だという。温暖期と減暖期の時期区分は、絶対年代では四千年から四千五百年前で西暦に換算するとBC二千五十年から二千五百五十年になり、ちょうど我が国の縄文時代中期にあたる。この年代推定は、イギリスのダーリントンが報告した中央アジアを原産地とする説を除きそばの起源を紀元前四千年以上としたのと年代は、ほぼ一致している。

     揚子江アーク
水稲、クワ、材ムギE型、コムギNE1型、若干の冬作蔬菜(そさい)、そば、それに馬、牛などが、このルートを通り、揚子江付近から日本の北九州へ弥生式時代に伝わった。

        蒙古アーク
エンバク、そば、馬などが、雲南省の山間部から北回りに四川省の西側を通り山西省と斉斉?爾の間を通って朝鮮半島に曲って、入るルートである。朝鮮半島経由の場合は北九州よりも出雲(島根)ルートが濃いようだ。

       北海道への伝播経路
1)カムチャッカおよびアリュ−シャンから千島を経て南下した文化
2)沿海州から樺太を経て南下した文化
3)本州から津軽海峡を越えて北上した文化
4)農耕文化に関する限り第1、第2のルートからの渡来はほとんど考えられない。
この二方面に居住する諸民族は狩猟民族であって、農耕を知らなかった。
擦文式時代またはそれより古く農耕を始めていたとしても、それは第3ルートの本州から北上した日本文化の影響と見るべきである
又アイヌの民話に伝えられる曽波の起源も麦と同じで、アイヌが曽波の種子を尻の穴に隠して内地から盗んできたために、曽波の実は三角形をなしているとあるのは、本州から伝来した事実を物語る。
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