粒食文化と粉食文化の出会い


私たちの祖先は遠い昔から、アワやヒエを粒食し稲作農耕を始めてからも米を粒食しつづけてきました。
そしてその脱穀から精白まですべての作業が杵と臼で賄われてきました。
また人間は石器時代以来、石の道具で穀物を調製してきた。
★日本の曽波(そば)栽培事始
                  縄文時代(晩期)前四世紀以前伝来食として
長芋   中国  里芋、蒟蒻   インドシナ  栗  西アジア
            ヒエ、ココクビエ  アフリカ   きび  インド
         そば    中央アジア  稲 インド
      竹、しそ   中国  胡麻、瓜   アフリカ  塩  西アジア
満州、朝鮮を経てこれが日本列島に至った時代は定かでないが縄文晩期の遺跡と見られる埼玉県岩槻市の真福寺泥炭層遺跡から瓜、胡麻、青豆などと共に蕎麦の種子が出土しているところからみて、これが稲より早く伝来したことはほぼ間違いない。又五千年前に北海道で農耕が縄文文化前期の住居跡に蕎麦の実が混じっていたことが昭和四十七年の調査でわかった。北海の農耕は「縄文農耕論」が有力となっている。各住居から必ず石皿、すり石などのセットが出てくる。季節によっては澱粉質の球根や種子を主要食料にしていたのではないかと想像されている。


★臼の発達史
人類を農耕文明へと導いた紀元前一万年頃の西アジアの住居跡に小麦、大麦の炭化した粒が続々発見され、それに野生種と栽培種が入り混じっていたり世界最古の村落跡があったり、紀元前7500〜6500年頃ともなれば貯蔵設備、臼、鎌などがセットになって存在するようになることからこの地域で一つの農耕文明が形成された。
サイトへ戻る