文化としての“食”

常磐大学  柄沢 行雄
今日の私たちのように身の回りに食べ物がみちあふれた社会にいると、つい「人間と食べ物の関係」と言うたいへん大切なことを忘れがちになる。考えてみると、人間の歴史は、いかにして食べ物を獲得するか、と言うことについての長い闘いの歴史であった。食料を安定的に獲得することに私たちの祖先はありたけの知恵をしぼり、命がけで闘ってきた。そして、そうした営みの中で人間は文化を創り出し、それを発展させてきた。

人間と食べ物の関係(食料の獲得<生産>、加工、料理、食べ方など)あり方を食文化と呼べば、それはじつに多様な形でこの地球上に存在する。そのうち食料の獲得が人間の生活にとっていかに基本的なものであるかは、食料獲得方法の違いが文化の違いを生み出す重要な要素なっていることからもわかる。
たとえば狩猟・採集・漁撈、牧畜(遊牧)、農耕という食料獲得の基本形態の違いは、それぞれの社会に特有の技術形態、生活様式、人間関係や集団のあり方、さらにはものの考え方などに基本的な相違をもたらしている。
私たちの経験では、日本の村と遠く離れたインドネシア・ジャワ島の村にはきわめて共通した社会的・文化的特徴が数多く認められる。
それは日本とジャワの村における食料生産の仕方が水田稲作農耕と言う点で同じだからである。逆に、この茨城県のなかでも県北の山間畑作地帯と県南の水田地帯とでは近年まで人々の生活様式にさまざまな違いがみられてきたが、それもひとつには両地域で食料生産の様式が異なっていたことに大きく影響されていたからである。
ところで、食料獲得の方法の違いは、例えば獲得されたものが動物であるか植物であるかといった食料の種類の違いをもたらす。
人間はその違いを見極めると同時に、それらに加工―料理と言う極めて文化的な営みを施することによって、食料の種類の多様性以上に食べ物の多様性を生み出してきた。同じ穀物でもそれを粒のまま食べる場合と挽いて粉にして食べる場合があるし、またそれらを水で練ったり、さらに煮たり、焼いたり、煎ったり、実に様々な料理の仕方をする。
この料理もいかなる社会にも存在する普遍的な人間の文化的営みである。
レヴィ・ストロースという人類学者によれば、文化の成り立ちと言う点からみて、料理は基本的に「生のもの」、「火にかけたもの−これはさらに<焼いたもの><煮たもの><燻製>とに分けられる−」、「腐ったもの」という三つの要素を基本にして成りたっているという。「生のもの」が基本にあり、そこに人間が手を加えたり(自然的変化)を利用して巧みにさまざまな食べ物が創り出されてきた。
さらに、料理されたものは、それに相応しい食器や食べ方を得て一段と文化的な意味をおびることになる。そこに至る過程にはじつに複雑な人間の営みが介在している。「食は文化なり」というには、食べ物、食べることが人間の精神的・肉体的活動の結晶としての意味をもっているからである。それは、「そば」について書かれたこのパンフレットがよく物語っている。
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